この質問表は、これまで支援メンバーが街頭やメール上で受けてきた皆様からのご質問をもとに、作らせていただきました。これからも随時更新していく予定です。ただし、証拠資料になりうる情報のうち、公開できないものも多々あり、閲覧される方の疑問を十分には解消できないかもしれません。そういった点は、何卒ご理解のほどをお願いいたします。
なお、事実関係や用語説明について誤りがありましたときは、メールフォームからお知らせいただけるとさいわいです。
◆ヨシノさんと、この支援グループについての質問
(*公開できない個人情報もありますが、ご了承ください)
1、ヨシノユギってどんな人ですか?
2、この支援グループはどういう人たちがやっているのですか?
3、ヨシノさんが、「性同一性障害(FTM)」を自分の名指しとして積極的には使いたくないって、どういうことですか?
4、ヨシノさんは今までもいろいろと活動してきたようですが、それらの団体とこの支援グループとは関係がありますか?
◆GID当事者の方からの質問
1、この裁判で大阪医科大付属病院の性同一性障害医療がストップして、治療待ちの人が医療を受けられなくなるのではないですか?
2、「受けられるべき医療が受けられなかった」ということですが、性同一性障害医療は発展途上の先端医療です。そもそも当事者は人体実験のつもりで自分の体をささげるようなところがあります。この医療を受ける人には、そのくらいの覚悟が当然ながら要求されるのではないでしょうか?
◆ヨシノさんとこの支援グループについての質問
1、ヨシノユギってどんな人ですか?
HPの「ヨシノユギについて」をご参照ください。
2、この支援グループはどういう人たちがやっているのですか?
日常的に活動を担っている事務局は、ヨシノさんと同じ立命館大学に所属している学生、院生を中心に、その友人たちが集まって結成されました。
それにくわえて、主に京都近郊のイベントで私たちがお会いして賛同をくださった皆さんや、HPで賛同メールをくださった皆さんのすべてを含めて、ヨシノ支援プロジェクトが成り立っています。
さらにこの支援グループについての情報が知りたいという方は、HPの「この支援グループについて」や「ブログ」をご参照ください。
3、ヨシノさんが、「性同一性障害(FTM)」を自分の名指しとして積極的には使いたくないって、どういうことですか?
「性同一性障害」(GID)といった言葉について、ヨシノさんがどのような考えをもっているかについてお答えするために、すでにご存知の方も多いと思いますが、「性の特徴で人を分類する仕方」について説明します。
●○トランスジェンダー(TG)と性同一性障害◯●
性による人の分類としては、大きく分けて、性自認(自分の性についての認識)によるものと、性指向(性愛の向く対象)によるものとがあります。
性指向では、同性に対して好意や性愛の指向がある場合、例えば男性が男性に好意や性的関係をもつならば、その人はゲイであるとよばれ、女性が女性に好意や性的関係をもつならば、その人はレズビアンとよばれることが多いといえます。
性自認では、「自分の認識する性」と「生まれた時点で社会的に割り振られた性」とがずれる場合、広い意味での「トランスジェンダー」といわれます(狭い意味では、トランスセクシャルと区別して、性別適合手術を望まないが性別違和を持つ人を指します)。男性から女性への性別適合を望む人をMTF(Male to Female)、女性から男性への性別適合を望む人をFTM(Female to Male)と表記します。
「トランスジェンダー」という考え方は、1980年代以降のアメリカの当事者運動の中から形成されたといわれています。この考え方では、性を越境しているという経験、男/女というふたつの性別に属さない心身の状態が、その人の生き方や文化として肯定されます。これに対して「性同一性障害」は、健康な身体にメスを入れるという行為が法に触れないよう、トランスジェンダーを医療行為の枠で表現したもの、といえるかもしれません。
性同一性障害は「GID」(Gender Identity Disorder)の訳語で、アメリカ精神医学会の診断基準のひとつでした。日本では1996年に日本精神神経学会が「性同一性障害に関する答申と提言」を公表し、1997年には「性同一性障害に関する診療と治療のガイドライン(指針)」を作成しています。以降、治療としてホルモン療法や性別適合手術などが、いくつかの大学病院で行われるようになりました。これに対しては、医療従事者がイメージしている当事者のあり方は必ずしも実態に即しておらず、個々の当事者ニーズに応える医療が提供できていないと指摘されてきました。これを受けて、2003年に改訂されたガイドライン第3版では、治療内容に関する当事者の選択を「ある程度」認める「アラカルト方式」が採用されています。しかし、性同一性障害を、「男性から女性になりたい人」「女性から男性になりたい人」という典型的なものの見方で断じる医師は、まだまだいます。
医療だけでなくメディア報道においても、性同一性障害と診断された人は、「男性から女性になりたい人」「女性から男性になりたい人」である、と考える傾向があります。しかし、トランスジェンダーの当事者運動が主張してきたように、性自認は男性か女性かに判然と分類できるものではありません。また、自分の身体との折り合いのつけ方は多種多様で、人それぞれにユニークであるといえます(乳房切除だけを望む人、ホルモン投与だけを望む人、性器形成を望む人というふうに)。また、「身体との折り合いのつかなさ」は、性別だけが原因になるのでもありません。そればかりか、性という社会的属性があまりにも大きな価値を置かれすぎることで、それが性同一性障害当事者に社会的な生活を送りにくくさせている、とさえ考えられます。
●○ヨシノさんの考え方と表現の仕方◯●
上に書いてきたようなことを踏まえて、ヨシノさんは、性的な特徴を理由に社会的な圧力を受けることが問題であると考え、社会的に男でもなく女でもない生き方を選ぼうとしています。そのうえで、どうしても違和感が解消されず、生活の不便さにつながる乳房については切除手術を受けて、快適な生活を手に入れようとしたのです。あくまで自分の生き方の中で、カッコ付きの「性同一性障害」を選んで医療を受けた、というのがヨシノさんの考えです。
ですからヨシノさんは、「性同一性障害」という診断は受けたものの、自分が「疾病」であるといわれることには違和感を覚えています。また、これまで今までのメディアが性同一性障害当事者を報道するときにみられた表現で、例えば「性同一性障害の○○さん」という言い方にも違和感をもっています。
本裁判提訴後のテレビ報道を注意深く見ておられた方はお気づきかもしれませんが、報道中で「性同一性障害者の女性、ヨシノユギさん」という表現をしたところはありませんでした。これはヨシノさんが各メディアに事前のレクチャーを丁寧に行い、自分の考えと、避けてほしい表現を伝えた結果でした。
4、ヨシノさんは今までもいろいろと活動してきたようですが、これまで関係してきた団体と、この支援グループとは関係がありますか?
関係はありません。
ヨシノさんは学部生の頃から、立命館大学の中でセクシャリティ・ジェンダーについてのバリア(社会的障壁)を取り除くために、様々な活動を行ってきました。例えば、セクシュアル・ハラスメント予防やセーファーセックスの講習を学内で行ったり、地域の学校で講演を行ったり、学園祭でレインボーパレードなどを企画してきました。これらの活動で生まれた繋がりの中から、ヨシノ支援プロジェクトのメンバーになっている人たちもいます。
しかし、事務局を構成する各自はあくまで、ヨシノさんの友人として個人で集まっています。特定の思想信条や、特定の利害を前提にして集まるのではなく、世の中に数多い不正の中で、たまたま私たちが直面したこの医療ミスに対して取り組む、というスタンスです。
同様に賛同人についても、どんな立場の方であれ、すべての方を「個人」として、区別なく扱わせていただいております。
◆GID当事者の方からの質問
1、この裁判で大阪医科大付属病院の性同一性障害医療がストップして、治療待ちの人が医療を受けられなくなるのではないですか?
間接的な答え方になってしまうかもしれませんが、このような質問そのものが、私たちの状況の難しさを克明に物語っているのかもしれません。この質問にある考え方は、「医療ミスを訴える人」と、「医療を受ける他の人たち」とが対立しているかのような関係を作ってしまうのではないか、ということです。しかし、なぜこのような関係がつくられてしまうのでしょうか。
性同一性障害医療の現状は、
・事実として医師側の「慈善」で成り立ってきた部分があること
・これに関わる医師の数が少ないこと
・その技術や体制は万全でなく、患者のニーズに応えきれるものではないこと
などがあげられます。このような状況では、医療ミスを訴えることで一時的に医療の提供を遅滞させ、医療を待つ他の当事者と対立するかのような状況ができてしまいます。しかし、この「対立」は、訴えを起こすことで必然的にできてしまう対立なのでしょうか。
推測の域を出ませんが、上のような質問をされる方の考えにあるのは、おそらく「訴える人の我慢が足りない」「訴える人の知識や注意が不足しているのだ」というものかと思われます。
では、患者・当事者は、医療の未整備という状況にどこまで耐えればよいのでしょうか。
今回のケースであれば、
・片方の胸の縫合部分がすべて壊死した
・医師の経験不足で、縫合のテンションを強くかけすぎて血流を確保できなかった
・医師が事前に、ヨシノ氏の体型による手術の特殊性を把握できていなかった
・医師が壊死リスクを充分に説明できていなかった(本人も認めている)
など、数々の問題がありました。
これらをすべて、我慢しなくてはならないのでしょうか。
また、「ちょっとくらいの壊死はよくある話だ」とおっしゃる方もいますが、ヨシノさんの場合、左胸にいたっては全壊死です。自助努力が足りない、我慢が足りないという程度をすでに超えているのではないでしょうか。法的に過誤が立証される可能性が濃厚な場合でも、我慢しなくてはならないのでしょうか。
医療において、どこまで患者は注意深くあらねばならないのでしょうか。ヨシノさんは大阪医大に3年間通っており、そのあいだに今回のこの手術についても自ら調べていました。形成外科の医師に壊死のリスクに関する詳細な確認を何度も取り続けましたし、医師の知らない情報も提供しながら、最善の策を要求し続けました。
「ヨシノさんの自助努力が足りない」とは、とうてい私たちには考えられませんでした。(証拠の公開を制限していますので、お読みの方にとっては判断材料に欠ける点はあるかと思います。随時更新していく予定のHP「資料集」をご覧ください)。
この医療にとって、本当の問題とはなのは何でしょうか。「個々の患者の自助努力や我慢が足りないこと」なのでしょうか。これは当事者だけではなく、すべての人に投げかけられうる問いです。私たちは、様々な証拠と証言に触れるにつれて、大阪医大の「状況」こそが問題であると考えるにいたりました。
そして、この問いはつねに新しく賛同人になってくださる人にも受けとめてもらい、カンパや賛同という形で応答をいただいています。ひとつだけの正しい答えをいますぐに出すことは、誰にもできないのかもしれませんが、ヨシノさんとヨシノ支援プロジェクトのメンバーは、裁判・提訴というかたちをもって、上記のような状況を変えるという方法を熟慮の上で選択したのです。
2、「受けられるべき医療が受けられなかった」といわれていますが、性同一性障害医療は発展途上の先端医療です。そもそも当事者は人体実験のつもりで自分の体をささげるようなところがあります。この医療を受ける人には、そのくらいの覚悟が当然ながら要求されるのではないでしょうか?
先端医療が失敗を繰り返して進展していく、当事者が医療の進展のために医療を受ける決断をする。
たしかに、これらは歴史的に繰り返されてきたことかもしれません。しかし、私たちは、患者の自己決定をぬきにした人体実験を許すことはできませんし、医療を受ける当事者に何かしらの覚悟が強いられているとしたら、その状況自体が問題であると考えます。
○●医療と自己決定●◯
医学の暴走から患者を守るために、患者の自己決定権が確立されてきた歴史があります。周知のことですが、医療はつねに動物実験や人体実験を必要とし、人体実験では精神障害者、孤児、末期患者、囚人、人種的なマイノリティを被験者としてきました。社会的マイノリティを人体実験の対象としてきた医学に対して、患者の自己決定の権利が獲得されてきたのです。
また、医療機関における事故や過誤の防止対策も変化してきました。訴訟対策で病院にとってのリスクを管理するという視点から、安全な医療を提供するために患者参加の下で防止対策をつくるという視点に変化してきたといえます。
医学の進展が貪欲に実験を必要とするにせよ、また医療に事故や過誤がつきものだとしても、医学に侵害されてはならないものがあります。現在、病院には倫理委員会が設置され、医師の判断が難しいものがここで考察されています。この現状をみても、先端医療だから人体実験が許されるというのは、医療側は何をしても許されるといっていることと同義になりますし、そのような考えは、侵害されるべきでない何かを患者・当事者からを奪いかねないのではないでしょうか。
○●当事者の覚悟●◯
当事者の中には、実験的医療をあえて選択し、データの蓄積に貢献する人たちがいます。そのような人たちは、本当にすごいと思います。性同一性障害医療も、医療従事者や行政サイドの人たちに、実態を伝える努力をし続ける当事者たちがいたからこそ、可能になりました。
性同一性障害医療に対しては、その不十分さが公には自己決定の範囲に含まれていなくても、当事者ならばあらかじめしっかりと知識をもち、心のうちで失敗のリスクも引き受けた上で自己決定しておくべきだ、という暗黙の前提があるのかもしれません。
しかし、これを暗黙の前提にすることを手放しに支持することはできません。しばしば、あえて正規医療にかかる人たちは(ヨシノさんもこのうちの一人でした)、医療従事者に情報提供したり、詳細な指示を出してレクチャーして、医療のベースアップを計ります。同様に医療のベースアップのために、過誤は過誤として、きちんと責任を追及しなければならない局面があると考えます。また、片方の胸が全壊死しても、その原因の理由説明が一切なく、謝罪の言葉も一切なく、患者・当事者の訴えを無視する医師がいても、それを当然のことだと「覚悟」する、ということは私たちの選択にはないのです。
正規医療への「覚悟」と同じように、裁判もまた、訴えを起こす当事者(原告側)に大きな負担がかかることは、現在の法制度上いうまでもないことであり、大変な覚悟を必要とします。この裁判は、医療を性同一性障害医療を後退から撤退させるためではなく、医療を前進させるためにある、とヨシノさん・ヨシノ支援プロジェクトは考えています。そして、裁判の行方(医療の行方)は、誰にも予め決めることはできないのではないでしょうか。
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